

なぜ、文化財レスキューが災害支援につながるのか?(4)
公費解体の完了が近づくにつれ、文化財レスキューの現場活動は、一区切りを迎えようとしています。 これまで出会ったたくさんの「もの」と富来の文化、歴史から学んだことを次にいかにいかしていくか。Futoとして、どう活用していくか。 まだまだアイデア段階ではありますが、これからやっていきたいことは、見出しつつあります。 まず、歴史博物館の方が書いてくださっているように、今回レスキューした道具、民具、歴史文化などに関する聞き取り調査は、喫緊に行いたいところです。公的機関に委ねたい部分でもありますが、伝承できるみなさんがかなり高齢にもなっているので、あんまり時間に余裕がありません。 民間でできることから少しずつ、早々にはじめなくてはと思っています。 また、地頭町と領家町を歩けるまちとして再構築することをめざすのも、Futo的な大事なテーマに掲げます。その方法はまだ模索中ですが、できればまちなかに、小さなギャラリーでもよいので、今回集められた「もの」と、その「もの」を通じて地域のことを伝えるような場所をつくりたいと思っています。 そしてもう一つ。これはもう少し


なぜ、文化財レスキューが災害支援につながるのか?(3)
今回の災害を機に、「自分は、なぜここ(能登)で生きていくのだろうか?」 という問いは、被災した多くの人が抱いたものではないかと思います。 生まれ育った場所がなんとなく好き。自然が好き。 友達がいるから、祭りがあるから、ここが好き。 だけど、災害を機に家がなくなった、見慣れたまちなみも、通り慣れた道もなくなった。 人も減っていく、仕事もなくなった。またいつ災害が起こるかわからない。 閑散と寂れていくこの町に、「私は、一体なぜ住み続けるのだろう」と。 町外への避難生活をつづけるなかで、「なぜそこに戻らなくてはいけないのだろうか?」と問うた人もいるでしょう。 そして、現に、能登を離れた方も多くいらっしゃいます。 では、ここに残って住んでいる方は、というと、よく耳にするのは「この年齢になって、いまさらどこにいくことができる?」あるいは「家業があるから仕方ない」というような消極的選択と諦観の響きでした。 本人のなかでは何かしら理由があるのかもしれないけど、それを明確に言葉にできない。 あるいは、胸をはって言えるような理由が見つか


なぜ、文化財レスキューが災害支援につながるのか?(2)
今回、富来地域における文化財レスキューを通じて得たFuto的大発見の一つは、 「あ、富来にも、ちゃんと人々の手仕事、ものづくりの技術があったんだ」 ということでした。 具体的にいうと、竹細工、織物、能登建築などの大工技術といったものです。 竹細工、織物、大工・・・ ああ、はいはい、地方によくあるやつね〜、という感想をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。ズバリそうでしょう。 しかし、丸尾くん。一言わせてくれたまえ。 能登におけるものづくりというと、輪島塗(輪島)、珠洲焼(珠洲)、能登上布(中能登)が特出しているのはご存知の通り。 そして、ここに生まれ育ち、暮らしている身としても、能登のものづくり=特別な職人の特別なもの、という感じで、いわゆる手仕事みたいなものの片鱗は、ほぼ感じられずに生きてきました。 そのため、なんとなーく、能登の一部の特別な産地だけでものづくりが行われていて、あとはただただ貧しい農村漁村が広がっていたんじゃないか?富来なんて、北前船でいっとき栄えただけのミーハーでチャラついた商業地でしかなかったんじゃないか?という懸念があっ


なぜ、文化財レスキューが災害支援につながるのか?(1)
少し前、お世話になっている災害支援団体の方と、冒頭の問いについてお話をする機会がありました。 私自身、なんとなく感覚的に理解し行動していたことだけど、いざ説明しようとするとなかなかうまくまとめることができなくって、改めてそのわけを考えてみることにしました。 気楽に書き始めたものの、気づけば論文?というくらい長くなってしまいましたので、数回に区切ってお送りいたします。 また、文体がお堅いのですが、あしからず・・・。 文化財レスキュー、正確には文化財レスキュー活動の支援はFuto立ち上げ早々から行っていたもので、5つのプロジェクト内の位置づけとしては「きのものおき小屋」にあたるものです。 もちろん最初から、文化財をレスキューするぞ、とはじめたわけではなく、被災した蔵や納屋から災害ゴミ運搬のお手伝いをしようとしていた時、廃棄予定の「もの」のなかに古い道具や民具をお見かけし、「これは貴重だと思うから、捨てずに専門機関に連絡したほうがいい」と声かけしたところからはじまっています。 Futo「蔵から目覚めたもの」 当初、農具、漁具、民


パッケージ支援
災害支援には、いくつかの段階があります。 いろいろと定義はあるようですが、個人的な経験をもとに私見で勝手にまとめてみると、 まず、発災直後の人命救助・生命維持のための、緊急対応の段階。 次に、インフラの回復とか仮設住宅や店舗の建設とか生活再建を支援する、復旧の段階。 そして、地域のこれからに向けて活動を行う、復興・再生の段階。 これらは表記の上では分けていますが、多くはグラデーション・複層的に重なっています。 「復旧完了、じゃあ復興に移りましょうか」なんてことにはもちろんならないので、復旧活動を行いながら、未来を見据え、復興の道筋を立てていくことが求められます。 また、特に公的機関は発災当初の緊急対応を行うと同時に、二次災害や災害関連死などを防ぐため、ある程度短期間で被災者の生活再建に向けて動きだす必要があります。 そこで日本では、「被災者生活再建支援法」という法律を設けていて、その法律に基づいて、「被災者生活再建支援制度」が施されるようになっています。 法令 https://www.bousai.go.jp/taisaku/seikatsusa


解体サウンド
周囲、四方八方、解体してます。 今現在、隣と斜め向かいの1軒が絶賛解体中。 重機の音とか、掘削とか、家が「めりめり」って崩れていく、強い振動を伴う解体サウンドが響き渡っています。 朝8時すぎから夕方17時過ぎまで、遅い時は18時くらいまで。 日曜日は休日ですが、祝日も作業しています。 解体業者の方はじめ作業の方は何ひとつ悪かないし、被災状況がひどい地域なので解体物件が多すぎるとかあるんですが、ここらは商店街だったところで、わりと日中もここに住んでお店したり、家で作業してる人もいます。 その人たちは、ずっとこの騒音を聴き続けているわけです。 まだまだ解体予定の建物は残ってて(周囲2〜300メートルくらいの範囲で、ざっと見て今後解体予定の建物は6軒)、鉄筋のビルとかもあって、この先も毎日この騒音が続くのかと思うとしんどくなってきました。 もちろん(?)更地にして何かを建てようっていうための解体じゃないよ。 また一軒、また一軒、消えていく。そういう解体。 先日、ある雨の日、近所で解体業者の方に事故がありました。 警察の検分も来ていたのでかなり深刻な状況

