見える被災と、形のない被災
Futoの活動拠点である志賀町の富来地域は、今回の地震で「境」の町です。
位置は、志賀町の北部、輪島市門前町の隣。
災害後、支援に来てくださる人のコメントはさまざまです。
・想像以上。奥能登と同じに感じる。志賀町がこれほど被災しているとは知らなかった(県内の方)
・テレビで見るよりは大丈夫そうで安心した(県外の方)
・正直、もっとひどい状況と思っていた。いい意味で期待外れ(県外の方)
・同じ志賀町でも志賀地域と富来地域で状況が違うのでびっくりした(県内の方)
町内の方の思いもさまざま。
・富来だって状況はひどいのに、メディアでは伝えられてない。もっと伝えてほしいしわかってほしい
・半壊でも、家にも住めてるし水もあるし電気もある。他地域に比べたらひどいなんて言ってられない
被災状況が「ひどい」。
倒壊家屋の数でしょうか。亡くなった方や怪我人の数でしょうか。インフラの損壊状況でしょうか。避難者数でしょうか。
メディアの伝え方と伝わり方には少々考えさせられるものがありますが、センセーショナルな部分を見せることで、形ない被災状況を伝えてくださっている、とも思えます。
志賀町の富来地域は、道の状況もよく、復旧は能登地域の中でもかなり早い方です。
ありがたいことに多くの地域で断水解消が進み、電気も通っている、スーパーもやっている。恵まれている方、ということに間違いありません。
でも、倒壊した住居はそのままですし、避難所生活を送っておられる方もたくさんいます。半壊以上の家で暮らしている方が多数です。
余震がくるたびに恐怖が蘇り、かつてのように仕事に身が入らない状態に陥ることもあります。
地震を機に町を離れる住民が増え、人の減った町を眺め、寂しさを感じることもあります。
形あるものが壊れ、そのことを見て私たちは傷つきました。
じゃあ、形あるものが直ったり新たに作られれば、心も同じように元通りになるのか?
どうやら、そうでもなさそうです。
ふと、舗装された道路を走りながら、漠然とした不安がよぎるのでした。