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建物の息吹き
- tsurusawayuko
- 2024年2月26日
- 読了時間: 2分
地震直後、多くの家が半壊以上の状態となり、私たちは、「もうこの家はだめだよ。壊すしかない」と口々に言っていました。
「住めない」「危ない」「いつ壊れるかわからない」「出ていくしかない」
家ってなんだろう?建物ってなんだろう?
傾いたら、崩れたら、もうそれは瓦礫なの?ガラクタなの?ゴミなの?
その問いが、「きのものおき小屋」のスタートでした。
壊すしかないとわかっている。
でも、心の底では、子どもの頃からそこに「あたりまえにある」建物が壊されて消えていくことに、さらに瓦礫みたいに扱われることにすごく苦しんでいる方がいます。
それは住居に限らず、蔵にしろ納屋にしろ同じこと。
立派な建材があり、立派な建具があり、素晴らしくお金をかけられた建物が、「残すべき価値あるもの」とは限りません。
材はもう手に入らないし、その仕事をできる職人がいないなかで、失われてはいけない貴重さがあります。
だからといって、立派な材も素晴らしい手仕事を施された空間も、「これはいらない」と思われたり、手を入れることがなければ、瓦礫なのでしょう。
地震の前から空き家問題は深刻でした。
なぜか人が住まなくなった家は、加速度的に朽ち果て、荒んでいきました。
逆にいうと、どんな状態になっていても、人が思いを込めることで息吹くものがある。
もしかして、建物ってすごくすごく有機的な存在なのかもしれない。
蔵の材を救いたいとおっしゃる持ち主さんと想いを共有しながら、そう教えていただいている気がします。
