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被災者が支援者であるということ

ブログではあまり書きませんが、Futoの基本的活動は、瓦礫撤去、被災した家の片付け、避難所まわりといったベーシックな災害ボランティア活動です。


プロジェクトを軸に活動していますが、たとえば古材や着物に関しても、「古材ください」「着物ください」とチラシを配ったりして、「自然に集まった、ありがとう!」ということは全くありません。

そもそも、そんな乱暴なことはしたくない。


毎日、歩いて知り合いの家をまわったり、避難所で声をかけて近況を聞くなかで「こういう活動しているから捨てるならちょっと見せて」と一緒に片付けをお手伝いさせてもらったり、「軽トラックあるから災害ゴミ捨てにいきましょうか」と声をかけてお手伝いすることも多く、「捨てるなら、これもらっていいですか?」という形で譲り受けます。


「何か手伝えることあったらいってくださいね」と声をかけても、そうそう連絡がくることはありません。

「じゃあ1週間後にこういう予定で」と決めても、特にご高齢の方は天気や気持ちの波があるので、「やっぱりやめとくわ」となったりする。


そして結局、一人で全壊扱いの家に入って片付けを続けたり、口をつぐんで心の殻に閉じこもったりしてしまう。

だからこそ定期的に顔を合わせて、話しかけて、「その場」で作業を手伝うということをしていく必要がある。

もしくは予定を立てるとしても「明日」レベルです。


飛び込みの作業も増えますが、そういう時間を繰り返した先に信頼関係がうまれ、別のニーズを見つけることも多くあります。

「避難所ってどんなご飯食べてるんですか?・・・え、コンビニ?」とか、

「最近ちょっとやせたんじゃない?」「運動不足でねえ、手がしびれてきて」とか、

「いい天気ですね」「本当は、畑行きたいんやけど」とか。


水道設備のこと、書類関係のこと、浄化槽の悩み、避難所の食事事情や運動不足、体の不調、家の壊れ状態の差による感情のもつれ・・・


全てを私たちが解決することはできませんが、つながりのある人や情報を駆使して、できるだけ解決できないかと探ります。新たなFutoのプロジェクトとして動き出すものもあります。



また、Futoの活動は町外からのボランティアさんに助けていただいていますが、これまであまり災害経験のない能登の人たちは、ボランティアさんとの関わり方が苦手です。

よそ者を排除することはしませんが、「きのどくな。いいわいね」と断ったりしてしまう。

だから基本は、必ず、「地元の人」である私たちが現場に立ち会い、ともに活動時間を過ごします。

ボランティアさんも顔見知りになった段階で「じゃあまた来ますね。もしかしたら今度はボランティアさんだけかも」と次につなげていきます。



活動を通じて一番大事にしていることは「忙しいからすみません」と、こちらの都合で切り上げたりしないこと。


外部から来てくれるボランティアの方に対してや、突然入った予定に対してはそういう対応をしちゃってるところがありますが、被災者の方と予定を立てた際は、絶対に顔を合わせる、腰をおちつけて活動する、できるだけお話をする時間をとるようにしています。


「丁寧」というとおこがましいかもしれませんが、それがFutoのスタンスなのです。



そして、Futoという団体ではなくとも、同じように丁寧に、町内で動いている方々がたくさんいます。


避難所の運営を担う区長や班長、商工関係者の方、地元の各種団体。

顔見知りだからこそ「困った」という話を受けやすいし、支援者同士の横のつながりも生まれやすくフットワークも軽い。

地域で支援の輪が広がっていくことは、とても誇りです。

(志賀町では、大手の支援団体がほぼ入っていません。(ハード系で1、2団体入ってるのみ))


でもね・・・支援者が被災者ということは、忘れないでほしいんです。

自分自身も含めて。


最近、「ちょっと休んだ方がいい」と言われることが増えてきました。

そして「ねえ、ちょっと休めば?」と声をかけることも増えてきました。


日々に追われ、自分の家のことは後回し。

仮設状態の寝床で浅い睡眠。

各所への連絡調整、メールの返信、手配。

外からきてくださった支援者や協力者への気疲れもあるでしょう。

そもそも人口が少ないので一人一人が抱えるものも多い。

やらねばいけない本業もあるし、壊れた家の修理について、お金について、考えなくてはいけない・・・



みんな、ちょっと疲れています。

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