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この思いは、誰のため?

公費解体に際して、現場監督さんに「納屋の柱材を残しておいてほしい」

その一言がいいだせません。

「ユンボの跡がついてもいいし、全部じゃなくても、いくつか残せたものをここに置いておいてください」

そう話しかける勇気が出ない。


それほど、解体担当の方は忙しそうで、何かに追われている様子。


すごく丁寧に作業しておられて、その姿を尊重したい、邪魔はしたくない。邪魔できない。

という遠慮と

もともと解体しようと思って解体するのではなく、

地震がなかったら住み続けていた家。

その材を少しだけ残すって話をすることに何の遠慮が必要なの?

という思いが湧き出ては、対立して

1日呆然と、片付いていく家を眺めていました。


家主のお母さんは、材について「残せればいいけどね」「使ってもらえるんやったら」

とおっしゃっていたけど、

今は「公費で解体してもらっとるんやし。みなさんの邪魔にならないように・・・」と。


家主さんの願いは、なにより「無事に解体が終わってくれること」

私はそれを無視して、自分の思いを押し付けてなかったかな。



お母さんは避難所暮らし。

木造仮設を希望しているものの、木造仮設の建設ははじまっておらず、

住居が決まらないなかで、家の公費解体がはじまりました。

(じゃあ家が決まってから解体申し込めばよさそうと思いがちですが、

当初、公費解体は申し込んでから1、2年はかかるかもと言われていて、みんな、ともかく申し込みました)


家は全壊扱いですが、補強してあり、中に入って片付けができていて、

毎日毎日そこに通うのが、お母さんの心を整える活動でした。


下見から2週間後に公費解体がはじまり「心の準備が・・・」と言っていたお母さん。


解体初日の昨日は

「洗濯物が一番こまるげんて。空き地で、ひらひらってパンツ干すわけにいかんし」

と笑っていました。


これまで家の片付けを通じて、「ここに牛がおってね」「息子のこんなん出てきたわ」という小さなエピソードを聞き重ね、思い出に触れてきた建物たち。


いつか、残した材を通じて、またこの家の思い出を家主さんと話せるんじゃないか。

それは、私が勝手に描いた美談かな。



「残しておきたい」


この思いは、一体、誰のため?


少し現場を離れて、考えてみようと思います。

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