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なぐさめとはげまし


令和6年能登地震から5ヶ月が過ぎた昨日、6月3日。


家の中の洗い場で洗濯物をすすいでいたところ、地震速報のアラートが鳴りました。

あわてて水を止めて駆け出した先は、今年の1月1日、母親とともに逃げ惑った家脇の通路。

ぐらぐらと揺れる木のフェンスを見つめながら、あの日の光景が鮮明にフラッシュバックして、気づいたら一人立ちすくし、泣いていました。



地震で被害を受けている家屋だからなのか、断層が近いのか、

元旦の地震で被害の大きかった地域では、震度1でもかなり強めの揺れを感じます。


「あ、今の大きいね」

と地震速報を見ると、震度1にも満たない、ということもよくあります。

うなりのような地面の響きは、毎日のように聞こえます。


私たちの心の震度計が敏感になっているからなのかもしれませんが、

単純な数字では表現できない揺れは、5ヶ月間、ずっとずっと続いています。


「それも慣れたよね」

なんて笑っていたけれど・・・。



「まだまだ終わってないなって。不安がもどってきたね・・・」

「久しぶりのアラートがけたたましくて・・・」


いろいろな人から届く、声。


同じく被災者でありながら支援に励んでいる友人は、昨日の余震で「怖かったね」という連絡を交わした後、

「真っ先に、もう頑張れないかもしれない、と思ってしまった」と伝えてくれました。


その言葉には、彼女だけではなく私たち被災者の本音が滲み出ている気がしました。



私たちはどこかであの日以来ずっと、不安や恐怖、迷い、悲しみ、そのほかの様々な感情をおさえ込んで、

張り詰めて、明るくふるまって、「がんばって」きたのかもしれません。


「ありがとう」を口癖に、自分をなぐさめてきたのかもしれない。

やりきれない感情を明るさに変えて、

しかもその明るさが永遠に続かないという可能性を受け止めて、振り切ってきたのかもしれない。


そんなことを考えさせられる余震でした。




余震で倒壊が進んだ家屋はないかを確認しながら、自問していました。


なんで、私たちはがんばってしまうんだろう?


・・・ここで生きるって決めたから。

今のところは。



じゃあ、どうしてこの場所にこだわるんだろう?

地震だって続いてる。

そして世界はずっと広いのに。


・・・


朝の町によく響く時鳥の声。すれ違う顔見知り。

「おはようございます」と挨拶する。「またあったね」と笑い合う。


解体が進み、小路がなくなっていく、まちなみ。

いつもの光景がかわっていく、その過程を歩いていく。



散歩をしながら、顔の浮かぶ一人一人のおうちを訪問しました。

余震で不安かもしれない、というのは言い訳で、本当はみんなの顔を見て元気をもらいたかっただけ。


結果、たくさんの人に会って笑って、コウノトリにだって会えて、よく笑う、良い日になりました。



なんで、私たちはがんばってしまうんだろう?


ここで生きるって決めたから。

今のところは。



じゃあ、どうしてこの場所にこだわるんだろう?



・・・ここが好きだから。

ここにある自然が、ここにいる人が、好きだから。

今のところは。




無理はしない、休むときは休む。

これはこの5ヶ月ほぼ週7でやってきた仲間同士の合言葉。


だけども今は「がんばらなくていいよ」というなぐさめよりも、

「楽しいことやっていこう」という、はげましのほうが、ずっと前向きになれるみたいです。


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